戦後派・尾上流の真髄

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 まだ戦争の廃墟が東京中を覆っていた昭和23年の6月創流された、いわば日本舞踊界の戦後派・尾上流の舞台に接した。
 宗家である尾上菊五郎、そして尾上菊之助、家元の尾上墨雪、尾上菊之丞に流派の新進、さらに新橋、先斗町の芸妓をくわえて、尾上流の存在を充分に発揮した国立劇場での公演だった。
 まず義太夫の「式三番」に始まった。菊之丞、菊之助の二人三番だったが、初代宗家の「役者と振付は本来別物」と言った言葉を彷彿とさせ、振付師としての菊之丞と、役者としての菊之助の輝きが四つに組んで見応えのある式三番になっていた。圧倒的な菊之助の品格に対し、菊之丞の才気がハーモニーをつくって見応えがあった。10年たって菊之丞の世界観、がさらに深く変わった時、もういちどこの式三番を振付してほしいと願っている。。
 長唄「雨の四季」やはり菊之丞の振付だったが、広重の雨の隅田川を彷彿とさせる粋な作品だった。近年の異常豪雨や天候不順からは到底生まれることのない江戸っ子のいなせが生きて楽しませてくれた。 
 音もなくけぶる春雨にはじまり、夏の夕立、夏祭り、日本橋川やお濠にかかる橋尽くし、秋雨にけぶる木更津船が行き交い、冬景色のなか静かに旅立つ老人の風景……先代家元の墨雪と東西花街新橋・先斗町の名妓たちが象徴する雨のたたずまい、表現に江戸っ子ならではの気分があり、べたついた日本舞踊の印象から抜け出した爽快でモダーンな作品になっていた。
 こうした江戸の雨もふたたびまみえることのない昔話になりつつある今が悲しい。
 帰りの新幹線のなかでゆっくりとプログラムを見た。芸の真髄制作委員会とNHKの主催。「芸の真髄」とはよくぞ云ったものだ。こうした上から目線の言い方はNHKの得意とするところ、官僚体質と権威主義に固まった数人の人たちによって運営されている。こうした権威の振り回しに、民間の「芸の真髄」はつぎつぎと殺されていくのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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