戦場ジャーナリストは身代金の道具?

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戦場ジャーナリストは身代金の道具?
 戦場カメラマンとか、戦場ジャーナリストとか称する人々がいる。ご本人たちは戦争の実態を伝えるという使命感にみち溢れているのだが、おおむね政府から渡航禁止指定をされているところに突っ込んでいく。
 俺たちはフリーだから、というがそれは他人に迷惑をかけない、というのがまず原則ではなかろうか。国際的な視野でいえば、出身国または出身国民に迷惑をかけないというのがまず第一原則であるし、相手国乃至取材対象にも迷惑をかけないということを踏まえたうえでの、取材活動でなければならない。
 最近映像がネツト上に公開された安田純平さんについて考えてみよう。
安田さんはいま、国際テロ組織アルカイダ系イスラム過激派組織「ヌスラ戦線」の捕虜になっている。
 この「ヌスラ戦線」はシリア北西部を拠点に、外国人の拉致、誘拐事件をたびたび起こし、その度ごとに身代金を要求してきた誘拐ビジネスの専門集団だと伝えられている。
 一橋大学社会学部に学び、信濃毎日新聞社に10年も奉職してきた安田さんが、そうしたイラク、シリア情勢を知らずに紛争地に入って行ったとは到底考えられない。
 「ヌスラ戦線」側は、安田さん拘束について幾度となく日本大使館に連絡したが、なんの連絡もない、恐らく身代金に応じないということだろう。
 安田さんの映像を見る限り、そうした日本側の反響に対する不満が映像の端々に読み取れる。本人のヒロイズムから起こした事件に政府は関与しないし、公共の迷惑だから自己責任で処理してほしいと、いうことだろう。
 ここで考えなければならないのは、戦場へ行くフリー・ジャーナリストとはなんだろう、ということだ。こうした誘拐事件に遭遇するたびに考えさせられるのは、フリーという言葉の責任範囲についてだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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