成蹊・櫻祭「幸せの時間旅行」

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 六本木のガーデン・デザイナー高山恒久さんからお誘いをうけた。
 「成蹊学園の櫻祭に行きましょう」というのは、高山さんも筆者も共に成蹊に学んだ仲間だからだ。
 90才を超え、まったく成蹊に行っていない、とある時話したことから、今生の見納めに連れて行こうとの「思いやりの表れ」だったのかも、と感じながら有難く申し入れを受けた。
 東京駅から吉祥寺まで高山さんの運転にゆだね、くるまでの花見紀行だった。
 途中若かりし頃、東京女子大の寮生との淡い恋の日々など思い出しながら善福寺池を巡り、レイモンド・デザインの校舎の素晴らしさを語りあいながら、吉祥寺についた。
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 コロナのお蔭で途絶えていた桜祭は、欅並木のしたで優しく開かれていた。
 欅祭でも学祭でもバカ騒ぎをせず静かに優しく開かれていた成蹊らしい桜の花見だった。
 改めて小学生から中学生、高校生、大学生までひとつの家族になって、ゆったりとキャンパスの櫻を楽しむ、一貫校の良さをしみじみと味わった。小学生はお祖父ちゃんおばあちゃんと、中学生は若い両親とともに、高校生はラグビーに汗し、大学生は恋人を伴ってそれぞれに仲良くキャンパスを楽しんでいる風景は、ジョルジュ・スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」に優るとも劣らない、豊かな静けさと幸せに充ちた世界だった。
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 本館の裏に隣接していた馬場が、遠い北の果てに移設されていたのは少しさびしかったが、欅も綺麗に手入れされていて80年ぶりのキャンパスは新しいビルが林立しながらも昔のままの印象が残っていた。
 帰途アールヌーボーの電灯に浮かぶお洒落な寿司やでご馳走になり、東京駅までの「至福の時間旅行」だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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