慰安婦像を展示したかった愛知芸術祭

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 愛知トリエンナーレとは、税金を使って日本人と日本の歴史を貶める祭事とは知らなかった。
 芸術の名をかりて「従軍慰安婦少女像」を展示するなど、主催者の神経を疑う。少女像は韓国の反日運動のシンボルとして、世界中に建てられすでに200近くにもなっている政治的モニュマンである。
 さらに言えば、朝日新聞の嘘に始まったなんの根拠もない従軍慰安婦のリアル像ではないか。この像の撤去を推進する運動ならば許されるが、さらに表現の不自由のシンボルに仕立てあげるなど、主催者側の見識を疑う。
 アートディレクターの津田大介なる人間の素性はしらないが、底の浅い自称芸術家か、歴史しらずの反日日本人であることは確かだ。
 愛知トリエンナーレでは、慰安婦少女像のほか、昭和天皇に擬した「焼かれるべき絵」や、九条守れの俳句、さらに米軍へり墜落のモニュマンまであった。まるで共産党、立民の政治偏向展示会の様相をていしていたのだ。表現の不自由展とはよくもいったり。韓国、北朝鮮の代理イベントに成り下がっていた。
 幸い多くの日本人の声がとどき、従軍慰安婦少女像展示は中止になった。
 実行委員会の大村秀章愛知県知事も、おひざもと河村たかし名古屋市長の反対の声にたじろいだ。公権力が表現の不自由をつくったと主張する田島康彦なる大学教授もおかしいし、検閲につながると声明をはっした日本ペンクラブもみんなおかしい。
 輸出規定見直しでホワイト国から除外された韓国に対し、日本が悪いと声明を発した78人の大学教授、弁護士、医者、マスコミ関係者など、いずれも日本人の衣をきて、日本を貶める反日運動家の在所がすこしずつ明らかになってきた。
 いまこそ日本人のプライド、日本人の欣嗣をとりもどすべきだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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