いま一番に不愉快な問題は、世界中にばらまかれた従軍慰安婦像の問題である。
例により朝日新聞が書いた記事が大本だったが、これほどの国辱記事を裏もとらずに掲載したとは、ビツクリ・ポンであった。日本と日本人に対する罪の深さははかりしれない。今になってあの記事は虚偽でした取り消します、とはどのツラさげていえるのか。社長がやめたくらいでは到底許されないメディア犯罪だった。
戦時における性の問題は、遠くギリシャの頃から戯曲にもなり、第二次世界大戦にいたるまで、どの戦争にも
ついてまわった問題だった。日本に上陸した連合軍も、まず兵隊たちの性処理機関の設置を要求、大森海岸ちかくの特殊施設前には、ベルトをゆるめた米兵が行列をつくったと、報じられたこともあった。
ベトナム戦争における韓国兵の性的暴行も伝えられたが、韓国の人々は戦争という歴史の裏にある人間の業の深さに眼をつぶり、ひたすら日本兵に対する憎しみを従軍慰安婦に集約してプロパガンダに狂奔した。
文明国では考えられない低いレベルのキャンペーン… 幼い少女慰安婦の像を世界中に作って設置するという愚行を重ねている。人間が人間みずからの存在にたいする恥じらいを失った行為でもある。
昨年12月、日韓両政府は慰安婦問題についてようやく合意した。お互いこの問題について非難、批判の応酬はやめる。日本政府は元慰安婦の苦痛を和らげるために、韓国が設置した財団に10億円を拠出、韓国政府は慰安婦像を撤去する、という内容だつた。
やれやれと思ったのも束の間、カリフォルニアでは新たな慰安像の設置が目論まれ、スター元慰安婦の李容洙は、カリフォルニア上院で感謝の決議を受けた。さらにサンフランシスコでも慰安婦像の建設が進められ、困ったことにカリフォルニア教育委員会によつて公立高のカリキュラムに、性奴隷としての慰安婦が代表事例として
取り上げられることになった。慰安婦像の撤去を条件に合意したはずの日韓会談はまつたくの虚構だった。
左手で握手して、右手でぶん殴るというのが韓国のやり方だと判った。韓国人とはそういう人々と認識したうえで付き合っていかなければならない。
慰安婦像にこだわる韓国人の文明度
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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