感動ポルノの方程式

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感動ポルノの方程式
 チャリティ番組 24時間テレビ 愛は地球を救う VS NHK・Eテレ バリバラ 障害者情報バラェティ
 ふたつの番組の対決が話題をよんでいる。
 片方は障害を全面におしだし、感動をよんで商売にしようというあいもかわらずの「愛は地球を救う」。
 もう一方は、障害者を健常者のために利用するのではなく普通人としてとらえた「愛は地球を笑う」。
 まもなくパラリンピックがはじまるが、画面に登場する女子アナのコメントが、始まる前から想像されてうんざりである。
 そもそも日本人のセンメンタリズムから発生したのがパラリンピックだが、障害者のための補助器具だったはずの義肢を初めとする機能伸長器具が健常者の能力を超えて、次のオリンピックではすべてのデーターでパラリンピックが上位にきかねないとまでいわれている。
 イギリスのジャーナリストであり、コメディアンのステラ・ヤングは、「障害者は健常者に勇気を与える道具になっている。」として、「感動ポルノ」という言葉を使ったのだが、いまこの感動ポルノの言葉をはさんで、ようやく障害者の扱いについて議論が沸騰している。
 口にペンをくわえて必死に絵をかく少女、カーボンの義肢で走るスポーツマン、車いすというだけで涙と直結する多くの消費者は、まさに感動ポルノと呼ぶにふさわしい大衆市場である。
 それらの大衆を狙ってジェネリック医薬品やら、ゲームメーカー、保険会社がむらがって感動ポルノの24時間は完成する。
 ロボットも義肢も人間の能力をこえたとき、明日の感動ポルノは一般普通人がなるのだろうか。その時、健常者の生活は、障害者の感動をよぶのであろうか。
 もはや健常者はパラリンピックに出場し、障害者こそオリンピックの主役となるのだ。そうしたSFチックな状況が、現実となりつつあるいま、「障害者×感動」の方程式を考え直す絶好のチャンスではないだろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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