愛想を尽かされた海老蔵

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 歌舞伎のなかでも、もっとも華やかで目出度い興行が「襲名披露」である。
 歌舞伎という伝統演劇が次代へ伝えられ、ますます盛んになるための襲名披露という芸の受渡しが重要になる。
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 十三代市川團十郎襲名というのだから、歌舞伎の世界でもっとも目出度い行事になるはずだが、次々と不祥事が続き、役者衆を含め贔屓筋からもこれほどの不人気な興行は初めてだ。
 名優、大御所、先輩の役者衆が皆できれば、この襲名披露興行にかかわりたくない、と思っていると聴こえてくる。
 理由は海老蔵の日頃の行跡が歌舞伎界にとってひどく迷惑だった、という一点にかかっている。
 IT時代とはいえ、SNSを通じ贅沢三昧の私生活を日々流し続け、自己正当化と自己承認欲求ばかりを充たしてきた行為には、心ある人々は眉をひそめてきた。
 江戸歌舞伎の中心にすわる市川團十郎を継ぐのであれば、もうすこし芸道への悩みとか歌舞伎への志を発信してしかるべきなのに、何時までたっても歌舞伎を見たこともない、テレビのB層と呼ばれるミーハー相手の生活情報垂れ流しや、歌舞伎十八番を商標登録して独占しょうとの企みでは、長い間成田屋を支えてきた贔屓筋もガッカリするばかりだ。
 「海老蔵はアホウだ」と斬り捨てるのは簡単だが、日本の伝統演劇である歌舞伎が共倒れでは元も子もない。
 勧進元の松竹もだらしがない。「市川團十郎襲名」の筈なのに本人は「市川團十郎白猿」を名乗っている。それならば初代であり、十三代の襲名にはなりません、と言えるプロデューサーがいないのだ。そんな我儘を許しては伝統は崩れていく。
 週刊誌には「今や騒動がオハコ(十八番)海老蔵・團十郎襲名に「大御所」辞退続出!」 とかかれている。
 襲名披露を喜んで報道するのは、亡き女房の勤務先日本テレビと無知の司会者によるワイドショウ位だろう。
 本当の歌舞伎ファンは泣いている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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