愛が重すぎる「ポンデザール」芸術橋

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愛が重すぎる「ポンデザール」芸術橋
 フランス人ほど、愛に率直で、愛に従順な人々はいない。
 だから愛の情景はそこら中にあるし、毎日は愛の時間を中心に回っている。愛こそが人間の真実だということを、子供から老人まで知っている。 それ故よなよなエリゼー宮を抜け出し、愛人のもとに通う大統領を、非難することもなく寛大に見守っているのだろう。
 いま話題の「ポンデザール」芸術橋も、もとはといえば王様がルーブル宮殿を抜け出し、左岸の恋人に逢いに行くために作られた橋なので、恋人たちが「約束の南京錠」を欄干いっぱいに掛け、ついに橋が危険な状態までの鍵だらけになっても誰も責められない。
 「カデナダムール」愛の南京錠と呼ばれる流行も、数年間は見逃していたが、いよいよその重さで橋が壊れそうという事態にパリ市当局はようやく腰をあげた。
 金網の欄干をアクリルに変えて、南京錠を付けられなくするというアイディアは、猛烈な反対にさらされ、とりあえず鍵の付けられる欄干はベニアで裏表を囲った。それだけでは能が無さすぎると思ったのか、いまはイラストが描かれている。前衛的な絵からアニメ調のイラストまで、ポンデザールは芸術的なフェンスに覆われた橋になっている。
 それでも愛し合う恋人たちは、この橋に来ていつまでも二人の時間を楽しんでいる。
 鍵の掛けられなくなった橋の真ん中には、何人かの鍵売りが南京錠をひろげてうっている。鍵を買い二人の名前を書いた恋人たちは、隣の橋へ、またその隣の橋へと浸食して行く。
 そのうち、世界遺産になっているパリ市内セーヌの橋はすべて鍵に覆いつくされることになってしまうのではないか、他人事ながら少し心配である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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