団十郎さんが一生懸命に事態を説明し息子の不徳をお詫びしている。歌舞伎界でもっとも人がいいと評価されている団十郎・希実子夫妻を襲ったドラ息子の事件だ。暖かく心優しく育てた結果がこれでは、立つ瀬がないだろう。
朝の記者会見をすっぽかし、その夜わざわざ六本木まで出かけて泥酔する。六本木にはその筋のひとやら、無頼の徒やら、暴走族やら、いろいろな人間が集まってきていること位は解っていたはずだ。さらに翌日は結婚式に列席出来なかったファン2000人を集めて盛大なご披露をやることになっていた。晴れ着を着て集まったファン一同も怒りの持って行き場がない。親の詫びより、見たかったのは海老蔵真央の晴れ姿の筈だつた。新婚そうそう徹夜の酒場通いでは、もうこの夫婦も先が見えたの感在りだ。外国人風に殴られたといっているというが、歯が折れ、頬は陥没骨折、片目をやられたとは情けない。役者の武器である顔ぐらいは守れ、いつもの鼻っぱしは何処へ行ったのか。
海老蔵襲名の頃よりは大分ましになったといわれているが、海老蔵は目上の人に対する言葉をしらない、礼儀がない、尊大な態度が鼻につく、といわれてきた。獅童にしろ、松緑にしろ、勘三郎の息子達にしろ、歌舞伎の明日をになう役者たちはみな基本的な人間力にとぼしい。家の名だけで役に恵まれ、ご贔屓筋の甘やかし、無智なマスコミさえ騙せばそれでいい、ぐらいの気分にみえる。
師走京都の顔見世興行には出演不能、相手役の玉三郎も心穏やかならず、代役の仁左衛門にしてもなんで俺がの気分だろうし、京都のご贔屓もそうはお人好しばかりではない。寂聴あたりが「あなたは今世紀最大の美男だから」などとヨイショして、彼の人間力をますます貶めた責任もある。30を超えた夫婦が自分等で身を処することができず、いちいち舅夫婦が出てお詫びする、ここに日本の甘えの病理がある。
情けなや、海老蔵。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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