悪戯書きのショパン

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 昨年ショパン生誕200年の時、立派だといわれているパーク・モンソーのショパン像を訪ねた。
 この公園には、ニソーのピラミットや日本から贈られた銅製の庭園灯などもあり、八区ではもっともパリの人々の日常に愛されている公園だ。回転木馬で子供を遊ばせている伯母さんや、新聞を読みふけっている伯父さんにめざす像のありかをきいても一向にらちがあかない。やっとのことで見つけたその石像の前にたって驚いた。
 グランド・ピアノを弾くショパン、そのピアノに寄り添って聞き惚れているジョルジュ・サンドその情景を祝福している天使といった3メートルほどの石像は、マジック・ペンの悪戯で無残なすがたをさらしていた。ショパンの顔には髭が書かれ、ジョルジュ・サンドにはアンダー・ヘアが書き込まれて言葉もない。
 あのショパンのその後が気になって、万聖節の日モンソーに足を向けた。ドキドキしながら晩秋の落ち葉を踏み分けて訪ねた、そのショパンとサンドは見事に美しくよみがえっていた。
 二人の愛の棲み家だったマジョルカ島や、ノアンのサンドの夏の別荘から生まれた前奏曲、バラード、幻想曲、舟歌、ポロネーズなどが、つぎつぎと聞こえてきそうな美しさにみちていた。
 この日、ペールラシューズのショパンのお墓も、真紅のバラに埋もれていた。クリシーの近くにひっそりとあるパリ・ロマンティック博物館では、鍵盤のうえのショパンの手にサンドの手が寄り添っていた。カルナバレのサンドも、ルクサンブール公園のサンドもみなセンター・パーツに分けた美しい表情で、ショパンの甘美な旋律を祝福していた。ポーランド人のショパンを9年の愛の時間ですつかりフランスのショパンにしてしまったジョルジュ・サンドの愛の深さに心打たれた一日であった。
 バンドーム広場に面したショパン最後の部屋には、この日朝まで灯りがともっていた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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