恐怖が間に合わない電磁パルス戦争

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恐怖が間に合わない電磁パルス戦争
 北朝鮮が「電磁パルス攻撃」を口にした。
 その瞬間からアメリカの対北朝鮮攻撃が現実的なものとなった。対話と圧力をお題目のように唱える日本政府や、9条万歳の左翼たちもあっさりと吹っ飛ばされた。
 核だのミサイルだのと言っていた間は、核抑止力や核拡散防止のための議論ですんでいたが、「電磁パルス攻撃」をむき出しにした途端、今までの認識や圧力は全く意味をなさなくなったし、今日ただいま北朝鮮に対しての全面戦争がおこってもなんの不思議もない。
 国際社会も「電磁パルス戦争」については、人類滅亡を前提としてかんがえらざるを得ないので、北朝鮮を人類全体の敵と認定して当たり前となる。
 たった今アメリカの北朝鮮攻撃が始まっても不思議はない。
 「電磁パルス戦争」とはなにか。
 核を超高高度の上空で爆発させれば、事足りる。核が地上30キロから400キロの高度で爆発すると、放出されたガンマ線が大気中の分子と衝突して、強力な電磁波である電磁パルスを発生させる。
 地上は原因不明の停電に襲われ、パソコン、テレビ、ラジオはもとより、ケイタイもスマホも全部駄目になる。交通機関もすべてストップし、信号も街灯も消えた路頭は何万の帰宅難民が埋め尽くす。勿論流通もストップし、スーパー、コンビニなどすべて営業不能となる。
 東京上空100キロで爆発させれば、北海道から本州、四国、九州まですべてをカバーできる。
 警察も消防も動けなくなる。無論自衛隊も駄目だし、原発も、ソーラーも、水力もすべて運転不能におちいる。ものは無くなり、医療も不可能となり、社会全体が機能不全になる。食料、燃料が無くなれば 人間は生きられない。
 一年後には日本人の9割は死に絶える、という恐ろしい兵器なのだ。
 Jアラートがなって、頑丈な建物や地下に避難して下さい。………お笑い草のような戦争ゴッコだ。
 現実は死を目前に動いている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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