恋をするなら美人の黒。

by

in

 というのは、アラサー向けファツション誌の特集である。かって黒は不吉な色とされ、葬式カラーと認識されていた。その意識改革をはかり、スタイルとしての黒を確立したのは、ほかならぬココ・シャネルだった。ダイアナ妃もマドンナも黒を支持し、ジョン・ガリアーノも、ケイト・モスもアンジェリーナ・ジョリーもみな黒を愛した。日本では、80年代に原宿界隈を徘徊したカラス族と呼ばれた一群がいた。もっぱら前衛的な乞食ルックをつくりつづけた川久保玲のコムデギャルソンがその犯人である。男女の壁をとりはらって精神的にも衣服のうえでも自立しようという運動体ファツションでもあった。そしていま黒という色彩がようやく日常的なオシャレ・アイテムとして復活してきた。ベーシックでありながら、素材、ディテール、アイテムによってさまざまに表情をかえる万能色が、黒だという。シャープで、セクシーで、美人を作る色としてこの秋大流行だそうだ。でもご注意はどさくさまぎれに店頭を飾る、レオパードの黒やら、物欲しげなキラキラ・ブラック、ベアトップやワンショルダーの芸人くずれ、重くなく強くならない黒にかわらぬエレガントが生きている。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ