スマホやタブレットが日常化して以来、恋の告白もメールでやり取りするようになった。
なるべく短く、キャッチーな言葉で伝える。そこで威力を発揮するのは、万人共通の絵文字。ハートマークの初心者から、絵顔のナミダまでお約束の記号で伝える。
ここでは恋も情熱も失恋もみな記号化されている。記号化された恋は、ゲームになっている。ゲームになった恋には、胸苦しさも、かみしめる喜びもない。アンドロイドの恋のごとく、記号化の集積だけで、そこから生まれ育つ人間の内面への影響は、全くない悲しい恋なのだ。
かっての文豪たちの恋文をみてみよう。せつせつと、或はとつとつと心情を吐露しているが、記号にはない魅力にみちている。
「貰いたい理由はたった一つあるきりです。その理由は僕は文ちゃんが好きだと云ふ事です。勿論昔から好きでした。今でも好きです。……二人きりでいつまでもいつまでも話していたい気がします。さうしてKISSしてもいいでしょう。いやならばよします。この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまいたい……」24歳の芥川龍之介から17歳の塚田文への素朴で率直なラブレター。
戦後、青森にいた太宰治から神奈川の太田静子へ「……いつも思っています。ナンテ、へんだけど、でも、いつも思っていました。……一ばんいいひととして、ひっそり命がけで生きてゐて下さい。 コヒシイ 」 コヒシイの四文字がおもい。
「君からの返事がないので毎日毎日心配で心配で、じっとして居られない。…とにかく早く東京に来るようにして下さい。恋しくて恋しくて、早く会わないと僕は何も手につかない。」当時学生の川端康成から15歳の伊藤初代に宛てた恋文、いじらしいほどの恋心が伝わってくる。
決して恋はゲームにはならなかった。
恋しくて恋しくて
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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