性的接待あたりまえのゴールドマンサックス

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 政界財界の接待や料亭政治は日本だけの悪習だ。夜の会合はすべてホテルでやる。
と宣言して、世界最高のおもてなし料亭や花街の文化を衰退に追い込んだのは、細川護煕元首相だった。
 細川さんというひとは、料亭の座敷にある文化、最高の心使いが見えなかったのだろう。
 料亭で供される酒や料理は、まさに和食の極み世界遺産そのものだし、そこで提供されるサービスは、世界最高の心ずかいともてなし、なにも悪いことはなく、しいていえば少しばかり経費が高いということぐらい。
それでも銀座のオミズの接待よりはずっと安かった。
 あの頃は社用族という言葉が横行し、接待ゴルフやノーパンシャブシャブなどという下品なものが話題になっていた。モンスターピアレンツの如く、それらを一緒にして料亭を悪しざまにいったのは、政治家の見識のなさとモンペの無知だったと言えよう。
 接待ビジネスはこの国だけと長いこと信じていたが、驚いたことに世界市場を牛耳るウォール街が接待ずけと聞いてびっくりした。
 ゴールドマンサックスという超一流投資銀行の元役員達が、見るに見かねて訴訟にふみきった。ウォール街の接待費は桁違い。超高級売春クラブで、一晩1000万円近く使うのはザラだという。日本でも寿司、ステーキの後、銀座、六本木の高級クラブをハシゴし、最後は吉原というのが接待の常識だそうだ。
 料亭接待には性的コースは付かないから日本のほうがはるかにマシだということがわかった。
 世界経済を動かすゴールドマンサックスが、そうした男性優位で保守的な企業であったとは、言葉もない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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