忘れられた誕生日

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 銀座のギャラリーの社長と、新橋の料理屋の女将が、打ち揃って軽井沢の拙宅にやってきた。二人とも元気あふれるアラフォーである。
 まずイタメシを予約してあるから行こうという。持参したものは冷蔵庫へ入れておけ、というのだがこちらは何の予定もしてないので、冷蔵庫のスペース確保にヒマをとられる。昼下がりのイタメシを楽しんで帰宅し、冷蔵庫から取り出されたのは、フルーツがたっぷりと盛られたデコレーション・ケーキ千疋屋特製である。15本のロウソクが立てられた。なぜ15本かと問えば、相方と合わせて15本だという。この種のケーキにつきあうのは何年振りのことだ。
 子供がいないせいもあるが、まず家庭内パーティには縁がない。近頃はなにかにつけて、サプライズやら記念日が流行っているが、終末年齢になっての誕生日というのはあまり有難くない。馬齢を重ねた恥もあるが、どう考えてもあの世への一里塚なのだ。
 彼女らはそんなことは忖度せずさっさとハッピーバースデイ・トゥ・ユーとアラフォー声で追い込まれた。ロウソクを吹き消したのは何十年ぶりのこと、自分では祝う気のない誕生日だったが、こうした遠方の友人の心使いはとても嬉しい。
 メディアの仕事をしていると仲間たちはおおかた年齢を忘れている。舞台人もそうなのだが、なかに女性スタッフがいると、誕生日だの何とか日が突如登場する。楽屋がいきなり飾り付けられ大きなカクテル・ボウルなどが登場し、忘れていた誕生日が甦る。
 京都の人たちもトシを数えるのが好きだ。特に社会とかかわらずに生きている人たちは、干支や数え年の確認、再確認が大好きだ。
 三井総領家の三井八郎右衛門さんなどは、毎年年があらたまるごとに年齢の早見表を作って配っていた。西洋暦と陰暦と元号さらに干支まわりまでついて、自分が何歳であるか一目で判る和紙の折畳み暦だった。
 日々齢を数え、生きてきた過去に感謝すべきか、残された時間に心を新たにすべきか、そこが思案のしどころ。プレゼントされたレゴのエッフェル塔は、土台の四隅で脚踏みしている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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