忘れられた夏花火

by

in

隅田川大花火2.jpg
 中国コロナのお蔭ですっかり夏の楽しみを忘れている。
 軒先の風鈴、おろしたての浴衣、打ち水、金魚売の声、八幡様の夜店など、夏の楽しみは色々あったが、なんといっても花火にまさるものはなかった。庭先でやる線香花火には、いつも近所のおねぇさんが手伝いにきてくれた。小さな火玉が燃え尽きて落ちると、おねぇさんの手がのびて線香花火は水桶にはこばれた。
 夏いちばんのイベントは「両国の大花火」、いつの間にか「隅田川大花火」にかわって花川戸に移ってしまったが、あの頃は駒形橋のあたりにいって土手に寝そべって大花火を楽しんだ。横山町の鍵屋と分家した玉屋が競って挙げた花火に江戸っ子の血が騒いで、わけもなく「カギヤー!」「タマヤー!」と大声をだしていた。乾いた喉の相棒は、いつもおねぇさんが買ってくれる駒形堂のよこの夜店のラムネだった。冷えた想い出のラムネは、コカコーラにも優さる美味しさだった。
 享保年間、江戸に流行ったコロリ(コレラ)の退散と死んだ人の御霊鎮めにはじまった大花火なのに、コロナの流行に立ち向かわず、今年は中止、去年も中止ではあまりにも情けない。江戸っ子の気概も誇りもない。
 隅田川大花火の経費は、戦前まで柳橋料亭組合と柳橋芸妓組合が全額負担していた。クチを開けば、コスパがどうのと論じる今時の東京人には想像もつかない生活観があった。
  


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ