心で話す「風の電話」

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心で話す「風の電話」
 3.11をまえに、その後の東日本大震災に関する報道が氾濫している。
 そのなかでもっとも心うたれたのは、岩手大槌町にある「風の電話」だった。海を望む高台にその電話ボックスは建っている。真っ白い爽やかなちょっぴりレトロな電話ボックスだ。
 軽井沢の旧道ロータリーにある電話ボックスに良く似ている。軽井沢の電話ボックスはオシャレな電話ボックスとして物見遊山の少女たちに使われている。
 大槌の「風の電話」は電話線につながっていない。津波のきた海をみつめている。
 あの日生き別れになった家族、父、母、兄弟、一緒に砂浜で遊んだ友達、先生、津波の彼方へ行ってしまった1200人の人々に、電話する心の電話なのだ。
 ボックスのなかには、電話線につながっていない古い黒いダイアル式の電話がぽつんとおいてある。
 明日結婚することになった娘さんが、津波とともにきえたお祖父ちゃんに報告にきている。
 失った恋人へ毎月電話をかけにくる若者もいる。
 風の電話のまえで、たちすくんでなかに入れない老婆もいる。
 風の電話にいっしんに話しかけるひと、電話を手に泣き続けている人、……
数字で伝える震災報道より、なにより心に傷をおった人々の悲しみが伝わる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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