御神木が消えていく

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 子供のころ、どこの氏神様にいっても、どこのお寺にいっても、必ず大きな木があった。
 その大きな木は御神木と呼ばれ、注連縄が掛かりお供えがあってなにか有難い木なんだと思い込んでいた。ときに誰も居ないことを確かめ、ガキ大将どもが木をとりかこみ、計測したこともあった。4人では手の長さが足りず、もう一人誰かを呼んで来い、という事件もあった。
 最近、四国いちえんで御神木の立ち枯れが発生している。30本の御神木が立ち枯れている。よく調べてみたら根元に3センチ程の穴がいくつも開いている。木のことに詳しい人の仕業に違いないという。開けた穴から薬剤を注入すると、木の表面と枝先の葉が枯れて木の寿命は断たれるそうだ。それでも巨木は表面だけが死んでなかは十二分に太い木材の用に答えられるので、犯人は巨木売買にたずさわっている人に違いないという目星はついても、犯人は捕まらない。
 奈良の興福寺中金堂の再建では、とうとう国内での御用材は断念して、カメルーンからの材木で建設中ときいた。信仰の原点である御堂を作る用材が、もうこの国にはないのだ。
 御神木は神様の目印、八百万の神様を呼び集めてマツリを開くとき、神下ろしの祝詞によってあちこちにいる神たちが御神木を頼りに集まってくる。その依代から祭り場に神様をイザなってから祭りは始まる。
 その肝心の目印になる御神木がなければ、神も仏もないだろう。
 日本人の自然信仰を支えているものが、いまなくなろうとしている。すべてを経済効果、費用対効果で考える今様の人々に対する自然からの報復こそが、御神木の消失かもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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