御嶽山頂上近く、八丁タルミでカメラを構えていた。
数年前の夏、8月7日の夕闇迫る木曽御嶽山頂近くで、「木曽御嶽大神火祭」撮影のためだった。
かって100日の潔斎修行をへた後しか登頂が許されなかったお山へ四駆をかって登ってきた。
日没とともにお山の登山道のはるか俗界から、松明の行列が粛々と登ってくる。行者さんの先導に信者が寄り添って100人程の白装束の群がいくつもいくつも山を登ってくる。「さんげさんげ六根清浄」をとなえながら己の生まれ変りを願う行でもある。音のない闇のなかをいくつもの松明のかたまりがゆっくりと登ってくる。信仰の霊山であることが、ひしひしと伝わる。
ファインダーを覗いていて不覚にも涙を止めることができなかった。
木曽御嶽は富士山、羽黒山についで山岳信仰のかたちを今に残している。死してわが魂はお山に帰るの信仰から、全山至る所に行者・信者の霊神碑、つまりお墓がある。木曽御嶽は全山お墓の山なのだ。
八丁ダルミには、数十万本の願い事を書いた護摩木が大きな輪をつくって積み上げられ、やがて点火されると、炎は火龍となって御嶽の中空を覆う。褌すがたの三河花火衆が、筒花火を抱いてあちこちに立つ。八丁ダルミは火に包まれ、何千の白装束の信者さんたちは、炎の饗宴を浴びる。まさに御神火祭に相応しい光景が現出する。
あの御嶽が爆発した。多くの犠牲者を出したとテレビは間断なく伝えている。断食と水行の霊山を忘れている現代人への警告でもあろうか。
御嶽山頂に立つ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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