広告代理店のデタラメ

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 ねぇ、このフィギィアの大会どこでやってんの。テレビの画面をみていてもよく分からないようだ。カナダじゃなかったかなあ…だってスタンドの広告、日本語だよ、そうか、じゃ名古屋辺りかな。生返事をする。うーん。それにしても変だ。やっぱりファイナルはカナダだよ。どれどれと乗り出してテレビと向き合った。
 スタンドの広告を見る。コーセー、アコム、東進ハイスクール、やがて木下工務店と出た。やっぱりおかしい。ここではたと気がつく。犯人は電通だな。こんなみっともない無節操なことを仕出かすのは、電通以外には考えられない。このところ広告代理店世界一の電通には、つぎつぎとスキャンダルが噴出している。つい最近は例の韓流さわぎがあった。被害をうけたのはフジ・テレビだったが、日本ならびにアジアへの韓国プロモーションに多大の功績があったということで、韓国から勲章をもらったのは電通社長だった。
 広告代理店というのは、右から左へ素材を動かしてマージンを稼ぐ、という虚業なのだから、媒体のセレクションにしろ、広告の表現テクニックにしてもおのずから、一定のレベルが要求されるし、節度がなければならない。企業自体にモラルが要求される。広告宣伝に不慣れなスポンサーをだまして、海外のとんでもないところに広告をだすというのは、いかがなものか。テレビ中継があるから効果は抜群です位のことをいって、スポンサーをのせたのだろうが、駅前の高利貸しや学習塾が、世界のフィギアー・ファイナルのスポンサーにふさわしいとはどうしても思えないし、開催国も不愉快だろう。
 かってバブル期には、電通社員のヤクの問題や、ギャラの中抜きが紙面を賑わしたが、最近の広告ビジネスをみていると、首をかしげることが多々みられる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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