幸せの赤いパンツが、ブームを呼んでいる。
赤いパンツの専門店、巣鴨地蔵通りに四つの店を構える「マルジ」は大変なことになっていて、ご希望の品
生産が間に合わず品切れ続出でお詫びの日々と報じられている。
昔から申年には、申とかいた赤い下着を贈ると、その人は一生下の生活にはならないで済むという験カツギがあったそうだが、病が去る、災いが去る、といった言葉あそびとからんで猿年の赤いパンツの時代を迎えた。
少し前までは、赤いパンツはお爺ちゃんお婆ちゃんのものと決まっていて、若者からは敬遠されていたのだが、不況時のパワー・衣料として人気に火がつき、赤いパンツは人類を救うとばかり、作っても作っても間に合わない。
藤原紀香はいつでもセクシーなレースのついた赤いショーツをはいている。千原ジュニアの人気は赤いボクサーパンツのお蔭。ハリセンボン近藤春菜の勝負パンツはずりあがらない鹿の子編み赤のコットン・ショーツ等々、どうでもいい芸能ニュースも加わって赤いパンツの流行を創りだした。
大学の先生も悪乗りし、赤い色は丹田を刺激し、女性に多い冷え性に効く、などとテレビにでて解説するに及び、吉永小百合の戸隠奥社のパワースポットをかるく抜きさった。
イタリアでは大晦日にプレゼントされた赤い下着で新春を迎えるという習慣があるといわれるし、モスクワの赤い広場は最も美しい広場の意味から、老いも若きも幸運の赤いパンツになびいているのだ。
幸運の赤いパンツ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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