年賀状の楽しみ

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 虚礼廃止とばかり、年賀状を出さない人もいるが、隣はだれ?の世のなかで年賀状をだしたり、いただいたりの習俗は、嬉しくもあり楽しくもある。
 今年の漢字は「絆」が世間を賑わしてきたが、個人情報やらネット社会が、はじから絆を断ち切ってバラバラ社会となりつつある。お互いのアイデンティティーもしらず、ただ記号だけで絆ができると信じている世代は恐ろしい。仲間になるにしろ、友達になるにしろ、顔と顔をつき合わせ、言葉を交わしてある程度お互いを理解してこその人間関係の筈だが、近頃は表札も出さず家のなかでパソコンに向かって、フェースブックとやらで自分に好都合の情報だけ、イイネ!だの、ワルイネ!だのと繋がっていく。
 さていただいた年賀状だが、志音さんの墨痕鮮やかな龍、吾妻徳弥さんの雲竜、中村乃武夫さんからは天地方寸と雄大な墨蹟をいただいた。勿論ことしは絆や竜や辰が圧倒的に多かったのだが。束芋さんからのteleco-soup、藤森カツジさんの朝日のリズム、富田菜摘さんの廃材の竜、空山基さんのシースルーのクラシック・バレエはセクシーさに慄然とし、黒鉄ヒロシさんのユーモラスな竜、上坂匡さんの版画、獏郎さんの板画と、年頭にはがきの美術館に囲まれた。
 役者衆も藤十郎さん、翫雀さん、菊五郎さん、菊之助さん、団十郎さん、海老蔵さん、仁左衛門さん、染五郎さん、団蔵さんとそれぞれに文人風な絵や書が楽しい。何故かセクシーで背の高い黒人を抱いている田尾兵二さん、七福神が竜の船に乗って外洋をめざす現代浮世絵の真澄さん、地域と共にめざす目的地は絆と企業理念を真っ赤に印刷したカントリー・プレスの荒川清司さん、毎年子供の写真のみで本人の年取りぶりを見せてくれない年賀状もある。
 お年玉袋をそのままお年賀のはがきにした早野さん、思わず入っているのかと上から覗いてしまいました。「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。」善光寺のお坊さん福島貴和さんからの賀状、見事に引導をわたされた。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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