巴里が泣いていたシャンソン・コンサート

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 往年の歌劇のスターたちが顔を揃えて「巴里を唄う」コンサートにお誘いを受けた。
 宝塚からは安奈淳,汀夏子、古城都、寿ひずる、日向薫など、SKDからは春日宏美、その他 由美かおる、夏樹陽子など、シャンソンを愛する不思議なメンバーの集まりだった。
 まず客席後方にミクサー、アンプなど持ち出して音響操作の準備をしていたので、今夜はいい音に出会えるかと期待した開幕だったが、始まりの音をきいてビックリした。ライブハウスではなくコンサート・ホールであるということをミクサーは忘れていたのだろうか。
 唄う声は過剰なエコーと音量で、全く歌のニュアンスを伝えていない。
 伴奏のカルテットもひどかった。アレンジを兼ねたピアノの小泉たかしは良かったが、サックスがひどい。シャンソンもロックも関係なく吹いているという印象だった。1930年代から70年代と謳っているからにはキーボードかアコーディオンを入れた方がずっとパリに寄り添ったろう。いずれにしてもミクサーの耳が悪くてはどうにもならない。
 照明もいまどき信じられないレベルだった。色感、エフェクトとも学校コンサートのレベルである。
 歌い手達は歌劇にいた時より、人生を深く経験しそれぞれに歌いこんでいたが、発声法が類型的で個々の音域にあてた譜面を持つことなく一律に声を出していた歌劇時代の欠点が現われていた。歌い手が変わり、曲が変わり、解釈に変化があっても同じ発声の声が続くと音楽そのものの変化を失う。聞いていて辛くなる。構成者の責任だが、春日宏美のリリーマルレーンに至ってホッとした。ただとってつけたようなタンゴはいただけない。振付とダンサーの責任だが、もう少しタンゴのきれのある振りがないと、タンゴというよりダンゴであった。
久しぶりのシャンソンコンサートだったが、いまだにこのレベルの巴里では、パリが泣いている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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