デザイン界の貴族ジバンシーが亡くなった。ジバンシーの思い出は尽きない。
日本に於いて、ジバンシーを展開することになって初めてのショーに演出を依頼された。その時の最大のメッセージは、エレガントであってほしい。品性を重んじてほしい、それさえあれば細かいことにはこだわらない、ということだった。
当時の日本では、ハリウッドの女優がきる洋服、アメリカの富豪が着る洋服という認識が圧倒的だった。
オードリー・ヘプバーンはいつもジバンシーの洋服で、スクリーンに登場した。麗しのサブリナ、おしゃれ泥棒、シャレード、ティファニーで朝食を等々 折れそうな身体にジバンシーの上品な服がとても良く似合った。かの35代ジョン・F・ケネディ大統領の葬式では、ケネディ夫人がまとったジバンシーの喪服は世界中の話題になった。
公爵の父をもち貴族の館に生まれたジバンシーには生まれながらのエレガンスがあったように思う。尖がったサンローランではなく、スポーテイなクレージュでもなく、ディオールと共にフランス・オートクチュールの王道を歩いた優れたデザイナーだった。
ハリウッドで重用されたのは、歴史のないアメリカ人にとってヨーロッパ文明のシンボルがジバンシーだったともいえる。とくにアメリカの実質的支配層であるユダヤ系の人々に愛された。
今シーズンのジバンシーのコレクション・テーマは、「ナイト・ノアール」だった。最後のイブニングは、首から胸にかけて、ウェストから脚にかけて、テキスタイルがうねる様に揺れ動き、繊細なドレープが不均衡で複雑な服のフォルムを完成して、ハッとする魅力をかもしだしていた。
いまジバンシー・ブランドは、ディオールと共にユダヤ系LVMHグループの傘下になっているが、歴史的必然だったのかもしれない。
感性はいらない。品性さえあれば、といったジバンシーの思いは、彼の死とともにますます遠くなっていく。 合掌
巨星ジバンシー 旅立つ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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