岩谷時子賞・斎藤由貴と加山雄三

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岩谷時子賞・斎藤由貴と加山雄三
 授賞式はたいていは金屏風がお約束になっているが、今日は違った。
白い厚いパネルがステージ正面にしつらえられ、中央には岩谷時子にふさわしい花の数々が、そのホワイトボードから浮かび出て品のいいディスプレイになっていた。花のうえには「第八回岩谷時子賞授賞式」と明朝でさっぱりとかかれている。
  まずFoundation for youth にえらばれたのは「服部 百音」さんだった。
  大御祖父ちゃんの服部良一さんとはいくつかの仕事をした。敗戦後の日本にいち早くジャズやヴギをとりこみ、日劇のレビューなどを通してニホンを明るくした。
 お祖父ちゃんの服部克久さんとは学校がおなじだった。パリにいた頃、ダークダックスを引き連れてパリ公演にきた。いくつかの編曲、作曲で世話になった。
 お父上の服部隆之さんは、パリのコンセルバトワールを卒業ののち、数多くの作曲活動をしている。大編成のシンホニーによる劇音楽では日本最強の作曲家だと思っている。いつかこの人にオペラを作って欲しいと願っているが、いまだ機会を得ていない。
 その娘さんが服部百音ちゃんである。母親もヴァオリン弾きなので環境は百パーセント整っている。けだし服部百音は当然のごとくに生まれた。
 岩谷時子特別賞にダイフクが出てきたのには驚いた。かっての東宝のお嬢さん女優が見事に花開いた。
 きけば越路吹雪を素材にしたミュージカルで岩谷時子役を演じたという。テレビのミステリーでも見事に刑事役をこなし、キャラクターで紅一点のポジションを確保している。筆者は〽探しものはなんですか…と、とまどいながら唄っていたころの「斎藤由貴」が好きだった。いまや東宝きっての演技派女優にのし上がった。
 岩谷時子奨励賞は三人、安定感のある四季の瀧山久志、乃木坂の生田絵梨花は声は出ているが表情に乏しい、そしてハンデキャップのピアニスト野田あすかだった。
 岩谷時子賞はいまさらながらの「加山雄三」ニンジンを食べすぎていまだに生きているという挨拶だった。
〽ぼくはシアワセだなぁ…と歌ったが、往年の色つやには遠かった。
 岩谷時子さんの著作権が原資とはいえ、島崎春彦さんも大変だなぁとパレスホテルのパーティ会場から、代官山の成田屋邸に向かった。故団十郎夫人はすっかり元気をとりもどし、かっての美しさを取り戻していた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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