ついこの間まで歴女ブーム、もっぱら舞台は戦国時代から江戸時代、そして佛女ブーム、ひがな仏像と対峙している。そして城女ブーム、城の造形は素晴らしく世界に誇れる美しさだという。まあ、ファッション・ブランドにこって無駄使いに励むよりは余程ましな知的流行かと納得していた。
がこの度は「山ガール」、山ガールの楽しみはお洒落をして山に登ること登れること、おかげで山シャツやら、山スカートやら、山ハットやら、売上倍増だと山ショップは喜んでいる。
山はつい最近まで聖なるやまで、山にのぼるということは神への帰依であり、神に会うための修行であった。木曽の御嶽山にいくと全山これご神体であるということが良く分かる。麓から何千何万という信者の墓石が連立し、この山に葬られることこそが神への帰依であるという人々の想いにからめとられる。御嶽に限らず出羽三山でも、高野山でも比叡山でも、日本人と山岳信仰のあり様をつきつけられる。山を巡ることで俗人の浄化が完成し、聖人の誕生をむかえる天台の千日回峰など見ると、物見遊山の山登りにはいきづらくなる。
スポーツ登山は明治の末期にヨーロッパ人によって持ち込まれたのだが、日本の山のシンボルである富士山はいまだに…六根清浄を唱え白衣をきて登るのが正しい。山ガールたちの困ったことは、とにかく軽装でお洒落優先、カッコがいいということが第一条件であるようだ。登山靴どころかブランド・スニーカーで登り、足元はあぶなくてみていられない。合コンの山版を山コンと称し、男狩を兼ねた山登りも珍しいことではない。道を間違えても標識が悪いと文句をいい、歩きづらい瓦礫を下山の途中、膝ケイレンを起こして救助をもとめても、「アリガトウございます」「申し訳ありませんでした」の台詞は聞いたことがないという。山ガールたちはまず麓で教育実習をし、それから山へ放すようにしたら如何。
山ガール見参。
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す