「バッハ会長は何故パラリンピックにきたのか。一度来たらもうこなくていいだろう。銀座にも行ったことだし……。」
分科会会長尾身茂の発言をきいて唖然とした。この人が何故メディアをまえにこんな発言をするのか、意味がわからない。なによりもオリンピックもパラリンピックも、日本が主催しているのではない。国際オリンピック委員会が主催している行事であり、日本は東京で開いてくれるように懇願した立場なのだ。
主催の責任者がなんど日本にこようと、文句の言える立場ではないのが誘致した東京都や政府の立場なのだ。こんな単純なことも判らずに、自分のポジションもわきまえずメディア相手に吠えて見せる困った年寄である。
本来医者の立場から政府にサジェッションするのが分科会の役割の筈なのだが、尾身茂の発言はまるで自身が権力者になったようだ。
一時期厚生省医務技官をつとめた官僚の悪い面がむきだしなのだ。この国の医療行政をゆがめてきたと言われる厚生官僚の弊害がとてもよく判る発言なのだ。
バッハ会長に文句をつけただけではなく、デパ地下を閉めろだの、ショッピング・モールを閉めろなどと、政治家の判断の領域にまで口をだしている。こうなると世にいう72才の老害そのもの、困った人だとしかいえない。
世界保健機構の事務局長に政府は強力に押したにもかかわらず見事落選し、コロナの権威として分科会会長になったにもかかわらず、治療については一切発言せず、国民の不安だけを煽っているなんともやりきれないのが尾身茂会長である。
尾身茂分科会会長の思い上り
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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