尾上菊之丞という才能

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 尾上流家元となって11年、外部での振付、活躍はずいぶん拝見してきたが、ご本人の発起によるリサイタルは初めてのこと。
 この日、国立の大舞台にのった四つの演目は色々な意味で興味深かった。
 たまたま幕間をつないだ茂山逸平さんが、くしくも「猩々」を「呑む菊之丞」、「鏡の松」を「しゃべる菊之丞」、「蝶の道行」を「ぬる菊之丞」、「八俣の大蛇」を「踊る菊之丞」と言い表していたが、いずれにしても菊之丞さんの才能が溢れた全方位の狂言で楽しかった。尾上流ならではの洒脱、粋はもちろんのこと、なんといっても振付の才、空間全体への目配り、作品の構成力が素晴らしい。
 かって池田満壽夫が版画からスタートし、アクセサリー、陶芸をものにし、文学にデビュー、映画監督としても活躍したとき、才能に溺れた作家として不評をかったことを想いだした。 才能が無間に湧いてくることへの羨望、嫉妬は当然あるのだが、そのことによって芸術家の座標軸が失われては元も子もない。
 菊之丞さんの舞台に接し、かっての池田満壽夫がすこしばかり二重写しになった。
 願わくば「尾上菊之丞という才能」で、世界に日本舞踊のもつ美意識、表現、ダイナミズムとリリシズムをアピールして欲しい。
 筆者はかってパリ・ムーランルージュで「ラ・ルビュー・ジャポネーズ」というトラディショナルなレビュウでかかわったが、当時一番困ったのはご当地の有識者から「先年きたアズマ・カブキというのは芝居なのかダンスなのか判らない」という質問だった。
 こうした欧米文化人に対し、菊之丞さんの才能で答えて欲しい、というのは思い過ごしではないと信じている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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