尺キレタ !

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 夜中、眠れぬままにテレビをつけた。
 番組名も局も忘れてしまったが、浜ちゃんと一茂が映し出され、どうやら一茂が大阪の新地で行きたいところへ行くという、なんともお気楽の番組だった。彼は例によってお気に入りママのいるクラブを指定し、最後はなんとかいう焼肉屋にいくといっていたが、レポーターが目指す店に歩いていく途中、突然画面が落ち、「 尺キレタ! 」と表示され番組は終わってしまった。
 
 尺とはテレビ業界でいう規定時間、つまり番組の持ち時間のことだ。ロケに出れば尺が足りないとか、尺が足りたとか出演者にとって一番気になる番組内容が収録されたか、まだ内容が足りてないか、という場合に使われる。
 放映される番組内で、いきなり「尺キレタ」と終わらせることなど、かって想像も出来ないことだったし、放送事故として担当者は責任をとらされて当然だった。
 関西の番組だつたのか、それをシャレのつもりで理解しろ、という制作姿勢だったのかもしれないが、いま地上波の現実はここまで堕落したのかと、感動的ですらあった。
 「菅総理も尺キレタ」のだろう。 「秋篠宮一家も尺キレタ」の感強しだ。枝野立民も中国のために働いていた学術会議会員を復帰させると公約、立派に尺キレテいる。……庶民は「武漢コロナの尺がキレテほしい」のだ。 
 「習近平の尺がキレルよう」働いてくれる政治家はいないのだろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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