少年愛とコンクラーベ

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 ベネディクト十六世の突然の退位によって、ローマ法王庁と世界中十一億のカトリック信者が揺れている。
 昔からカトリック教会の性的虐待疑惑は当然の如くに語られてきた。 坊さんと小坊主のお寺でも、お殿様と小姓のお城でも、男ばかりの社会では、その種の事件は起きて当たり前。 が時代が変わったおかげで、近年アイルランド、ドイツ、アメリカなどで、神父さんたちの性的トラブル、少年愛が次々と問題になった。ついこの間までの単純なロリータ・コンプレックスが、性的犯罪として社会の指弾を受けるようになった。 こうした問題の処理は、法王にとってさぞ不愉快なことだったに違いない。
 さらに拍車をかけたのは、バチカン機密漏えい事件、法王宛の私信が流れ、内部の権力闘争とマネーロンダリングが表に出てしまった。
 いまバチカンではカードが使えなくなっている。金の流れがおかしいと、イタリア銀行が一切のクレジットカードを止めてしまった。バチカンとシシリー・マフィアが繋がっているのではないかと、あちこちに流言がとびかっている。マフィアのお金のロンダリングにバチカンが一役かっているというのも、随分に不思議な話である。 次々と起こる黒いスキャンダルにすつかり嫌気がさして、退位を決意したのではというのが、消息通の解説でもある。
 さてこれからが、後継の法王を選ぶコンクラーベになる。118人いる枢機卿の互選により選ばれるのだが、難局のバチカンをどう舵取りしていくのか、新法王の腕次第。後継者選びにはいつも時間がかかり、根競べになるので、「コンクラーベ」といわれている、というのは笑点レベルのお話。
 選挙中の枢機卿が外に出られないように、鍵を掛けたところから施錠の意味の「コンクラーベ」が生まれた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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