小沢潰しに狂奔する霞ヶ関

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 霞ヶ関の官僚たちにとって、小沢一郎ほど憎い政治家はいない。
 霞ヶ関の権力構造に手を突っ込み、根本的な改革を断行しようと、虎視眈々と狙ってきた保守のなかの革新だからだ。それゆえ四半世紀にわたり、執拗な小沢バツシングを続けてきた。
 あきらかにデタラメだった西松建設事件、それにつづく陸山会事件の犯人は、検察の内側にいたことが露呈したが、それでも懲りずに検察審査会へウソ八百の捜査報告書を提出、なりふりかまわず小沢控訴にもちこんだ。たえず捜査を課することによって、「小沢は悪い奴」というイメージを国民に植えつけることに成功した。ワイド・ショウの司会者なとあつさりと洗脳され、小沢を非難することこそが良心的司会者の顔といった様相を逞している。
 官僚たちの作り上げた国家予算に手をつけ、その骨格を変えることによって予算を捻出することが唯一の手段だと判っている小沢一郎は、絶対に葬るべき敵なのだ。政権交代後、官邸機能の強化をはかり、事務次官会議の廃止を打ち出したときには、霞ヶ関は空前の危機感に見舞われた。それまですべての政策決定は官僚たちの最高最終会議たる次官会議がすべてコントロールして、政治家をあやつってきた。 財務省と法務、検察首脳は矢つぎばやに手を打ち、鳩山献金問題であっさりと首相の首をすげかえた。首根っこを押さえられた政治家ほど情けないものはない。
 その頃から財務省に関わっていた野田佳彦に眼をつけ、増税政治家に仕立て上げた。国家観にとぼしい野田は見事に霞ヶ関の犬と化し、消費増税のみならず、原発再稼動まで私の責任において…と神をも恐れぬ言葉を口にするようになった。消費増税議決の日をめざして、メディアと民主党員に一斉に配られた小沢夫人の去り状など、出所不明の霞ヶ関爆弾が次々と爆発している。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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