小池百合子に於ける爺転がしと終着駅

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小池百合子に於ける爺転がしと終着駅
 小池百合子がとうとう仮面を脱いだ。
 いままでも政界の爺殺しとして、つとに評判は高かったのだが、東京都知事になって以来の彼女の手口がバレバレになり、希望の党に逃げ込んだのが真相のようだ。
 豊洲は活かし、築地も生かす、といった発言は、何千億かのむだ金をつかったあとで、ようやくたどり着いた愚策だ。小渕・森内閣において経済企画総括政務次官をつとめた人の方針とは到底おもえない。オリンピック会場問題でも、あちこちにいって思わせぶりの発言をかさねた上で、なにも変わらなかった。首都高建設の計画もストップしたまま、すべてとっ散らかしてすべては無駄ずかい、イメージ作りだけのポピュリストではないか。その面からは、ヒトラーとトランプに共通したパフォーマーともいえる。
 彼女の政党遍歴を見てみよう。壇ノ浦の八艘飛びならぬ、霞が関の七艘飛びなのだ。
 日本新党から新進党、新進党から自由党、自由党から保守党、保守党から自由民主党、自由民主党から都民ファーストの会、都民ファーストの会から希望の党、……。お見事としか云いようはない。この間、細川護熙から小沢一郎、そして小泉純一郎と政界爺転がしをしてきた。そこで得た役職は総務政務次官を皮切りに、経済企画政務次官、環境大臣、内閣府特命大臣、防衛大臣、そして自由民主党総務会長であり、広報本部長だった。この経験の総てが生きて東京都知事になったのだが、彼女の野望はどうやら日本最初の女性宰相にあるようだ。
 民進党の解体なだれ込みにたいして、希望の党はひとりひとりの身体検査をしたうえで認めると発言している。憲法改正、安保法案、原発廃止をバリアに受け入れると伝えられるが、連合左派の丸抱えできた民進党のメンバーがどこまで入党を許されるか、それが問題だ。
 大儀大儀と連発しながら、政治家の就活運動ほど、醜く滑稽なものはない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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