小室哲哉、獄に堕ちる

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 80から90年代の音楽界を沸かした小室哲哉が詐欺師として捕らわれた。そもそも彼は芸術家ではなかった。カラオケで目立ち、クラブで踊りやすい商業音楽の達人だった。言い換えれば音楽の電通のような男だし、彼の音楽はマーケティング・サウンドだった。
 聡明な篠原涼子はいち早く見抜き、一曲歌い有名を手に入れるとさっさと彼と別れ、今日の女優の座を手に入れた。少しばかりお馬鹿の華原朋美は、結局思いきれずにだらだらと恥をさらした。TRFは彼のサウンドとともに御立ち台の羞恥心を日本中に撒き散らした。
 音楽が芸術からはなれ、マーケットの商品として流通するようになったのは、ひとえに情報化時代の必然かもしれないが、サブプライムの空手形のようなもので、中身のない記号であり、そこからうまれた拝金生活も敗れるべくして破れた必然の結果だったといえる。今眼の前のテレビCMにも、音楽某のクレジットがでている。本当に音楽を愛する芸術家であれば、茶缶15秒の宣伝に名前を出すことはイサギヨシとしないだろう。もはや日本人は拝金と宣伝欲の奴隷と化してしまっている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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