それは女性科学者のイメージに全くない個性だった。優しそうであどけない表情から、よもや社会全体を敵にまわすような欺瞞にみちた発言をする筈がないという、経験則にもとずいた印象がすべてに優先した。
ここ数年、生命科学にまつわるいくつかの情報は、ただひたすら期待をこめて歓迎し、よもやその世界から虚偽のレポートが上がってくることなど、想像だにしなかった。
が立ち止まって考えてみると、彼女のあどけなさは幼さに通じるし、優しさは学問に対する厳しさの不足でもある。我が国を代表する理研の科学者が、コピペなどやる筈がない。そこいらのバイト学生ではあるまいし、という先入観がすべてを支配していた。
実験室の壁にあったムーミンの漫画もあってはならないことが、逆に新鮮な世代とカン違いされたし、おばあちゃんの割烹着も折り目正しい日本の良き時代の育ちと誤解された。テレビは喜んで報道したが、子供たちの遊園地報道と変わることはなかった。
リケジョはダサイという先入観をすべて覆したのも、ヴィヴィアン・ウェストウッドの金の指輪、トートバック、ミニスカートと芸能人顔負けのファッション・センスだったし、生命科学に関するものはなにもなかった。
このことは彼女の周辺に存在した学者たちが、みな心をわしずかみにされたことからも、いかに彼女が既成の学会に存在しなかった個性であったかがよくわかる。
ハーバード大学のチャールズ・バーガンディ教授は「晴子はエンジェルだ」と発言し、彼女を指導していた理研の笹井芳樹副センター長は自殺に追い込まれてしまった。
げに恐ろしきは、女の魔性である。
小保方晴子に騙された
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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