中田喜直先生の名曲に「ちいさい秋みつけた」という小品がある。
〽誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた / ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
という繰り返しに始まるサトウハチローの詩によるかわいい童謡だ。
わずかに兆し始めた秋のかけらを見つけ、その秋に対する思いをそっと歌った名曲であり、かっての日本人の心のかたすみにあった秋という季節への讃美歌でもある。
縁あってこの「ちいさい秋みつけた」を映像化しなければならないことになった。
第1集では、軽井沢の白鳥の湖と言われてきた、雲場の池の色ずいた紅葉を素材にした。さいわいセレクト版を作ることとなり、「ちいさい秋」を再撮影することになった。楽曲の3番ではこう歌っている。
〽むかしむかしの 風見の鳥の / ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
やはり「はぜの葉」を見つけるしかない。軽井沢ならいくらでもあると思い、撮影に出かけて驚いた。森から森につながる別荘地にはまったく見当たらない。
いちばん先にちいさな秋をみせるはぜの木はすっかり嫌われてしまっていた。紅葉の大きな秋はあちこちにあるが、ひっそりとちいさな秋をみせるはぜの木が見つからない。
ちいさな秋を探して何日か費やしたあと、そうだ峰の茶屋のむこうの浅間山と対峙する六里ヶ原へ行けば、と思い立ちようやくはぜの葉の見事な紅葉と出会うことができた。
迷惑な猿にくらべ、庭の片隅に寄生するはぜの葉など、秋のさきがけとしてとても可愛いと思うが、かぶれたらのママ・クレーマーの声に植木屋さんも従わざるを得ないという現実があった。
小さい秋が見つからない
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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