暑負けの胃袋に効くのは、七色唐辛子だ。世界中を旅しても、ようなものはない。
テーブルの塩胡椒に混ざって、七色唐辛子があるとなぜかほっとする。ヨ―ロッパの友達もたまの便りに七色唐辛子を送れとある。江戸っ子の七色唐辛子は「やげん堀」と決まっているが、いつか京都産寧坂の「七味家本舗」を覚え、軽井沢に住むようになってからは「根元八幡屋磯五郎」になった。グルメ時代になってからは祇園「原了郭」がくわわった。
学生時代「やげん堀」というからには、何処かに堀があるに違いないと古地図を探したことがあった。薬研はお江戸の医者の調剤器具で、薬草を入れた薬研をひいていたのは、必ずどぜう髭の医者だった。結果柳橋と浅草の間に医者のあつまっている医者町があり、側を流れていた掘割が薬研のかたちをしていたということが判った。
そこで始まったのが「やげん堀」であり、屋号のうえにある𠆢徳の文字も由緒あるものと知った。寛永2年菊の節句に七色唐辛子を献上したところ、三代将軍家光が殊のほか気にいり、徳川の徳を屋号に賜ったという歴史的リアルの由縁であった。現在の浅草仲見世のやげん堀は、後の引越し先だったのだ。
産寧坂の七味家は、京料理の相手として辛さより香りを中心に、青のりやら青紫蘇を工夫した公家さん風の味。
善光寺門前の八幡屋磯五郎は、蕎麦しかなかった信州の食へのアクセントとして生姜をきかせた辛みからスタートした。
やげん堀はにほんの中心幕府のおひざ元を意識して、全国から材料を集めた。武州川越からは黒ゴマ、紀州有田のみかん、内藤新宿の焼き唐辛子、四国高松の唐辛子、静岡朝倉の粉山椒、大和のケシの実、日光麻の実、と全国網羅の江戸幕府のおひざ元を意識して歌祭文とともに売り歩いた。大江戸プロモーションの七味味。
七味唐辛子にもそれぞれの風土と歴史が反映して面白い。
将軍家光の七味唐辛子
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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