富岡八幡は江戸っ子のものだ

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富岡八幡は江戸っ子のものだ
 深川の八幡様といえば、江戸っ子の拠り所「富岡八幡宮」と決まっている。
 赤坂山王さんと神田明神、合わせて江戸三大祭りともいうが、三代つづいた江戸っ子にとっては、深川の八幡様はもっとも身近な八幡様だ。
 国技である江戸勧進相撲は富岡八幡の境内からはじまった。100年にわたって勧進相撲がこの地で開かれ、のちに両国回向院に移った。それ故、歴代の横綱碑も、大関碑もすべて深川八幡の境内にある。力持碑、木場の角乗碑など、江戸っ子の自慢はみなこの富岡八幡に集まっている。
 三年に一度の本祭りでは、130台の大神輿がでて沿道の水を浴びながらの壮大なお練りとなる。若衆が江戸百町の大提灯をかかげ、宮中に大回向を敢行したこともある江戸最大のまつり。一宮の黄金神輿には30カラットのダイヤモンド、2010個のルビー、純金24キログラム、プラチナ、銀、無数の宝石類がつかわれた名実ともの日本一の神輿だし、二宮の神輿すら鳳凰の眼には5カラットのダイヤが入っている。
 江戸っ子の心意気がそのまま神輿に具現化している。
 その富岡八幡がいま神社本庁から脱退し、独立しようという騒動になっている。先代宮司が病身だつたため、長男の娘が宮司代行をしてきたが、たびたび宮司の申請をだしても神社本庁が許可しないので、とうとう独立を図ったという経緯のようだ。
 神社本庁は神道の本局として、祭事、広報、改修補助、宮司任命についての責任を負っているのだが、宮司の女系は基本的にみとめていない。
 このことは女性天皇や女性宮家にも共通することだが、一旦女性宮司をみとめてしまえば、血統の正統性が失われ、結局は滅びてしまうという危機感からきている。婿に来る男性には制限をつけることができず、極端にいえば犯罪者や渡来人が入り込んでしまうことすら、可能になるという現実からきている。
 左翼系メディアによる女系宮家の創設推進論も、男女同権の美名に隠れた国体破壊の思想が隠されていると、読まれているのだ。富岡八幡の神社本庁脱退の動きも、近い将来に必ず禍根を残すだろう。
 深川の八幡様は、宮司個人のものではなく、江戸っ子すべての魂のよりどころなのだから。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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