宮沢リエは何処か胡散臭い

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 11才でモデル、16才でフンドシ・ルックのカレンダーを作り、18才でヌード写真集「サンタフェ」で反響をよぶ。いつも人間の劣情を刺激して話題づくりをしてきたのが、宮沢りえという女だ。19才で貴花田と婚約したときも、相撲部屋の女将さんの役割など一向に理解せずただの火遊びとだれもが感じた。その後も歌舞伎のことなど分からずに勘三郎を追いまわし、ビートたけし、右近、海老蔵、中田英寿と数え上げたらキリのない有名病の女色事師だ。自殺未遂を重ね、拒食症による激痩せなど、バランス感覚のない欲情至上主義者なのだ。リエママと呼ばれている母親の破天荒な生き方から学習することなく、そのままに受け継いだ始末のわるいタレントだとも言えよう。異母兄弟、異父姉妹など複雑な家族構成がそんな彼女を作ったともいえるが、もうすこし冷静にわが身と芸能の世界を見つめたらと思うことしばしである。オランダ人の血がそうさせるのか、思春期に勉強ひとつせずにきてしまったことが原因なのか分からないが、今回の出来婚報告もまた相手は日米を往復する「青年実業家」といういかがわしさなのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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