安部公房と丸田恭子

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 くるみオハギが食べたくなると別所平の前山寺へ足を運ぶ。
 松茸が食べたくなると、別所平の松茸山へいく。其処此処に松茸小屋があり、リーゾナブルに松茸料理をいただける。食欲ばかりではなく、信濃デッサン館や戦没画学生の絵を収蔵する無言館もある。
 より重要なのは、ここが日本の中央であると宣し御本殿のしたの大地を御神体としている、生島足島神社がある。天皇家からは毎年なにがしのお届けがある。
 その不思議の国の真ん中にある夢の庭画廊で、丸田恭子さんの個展があった。
 彼女の作品の、1980年代のソーホーに充満していた、時代を疾走する感覚と迷走の重層性に惹かれて、しばし拝見している。相変わらず歯切れのいい循環と波動の作品と、前衛の水墨に近い作品が並べられていた。
 作品のコンセプトを読むと、いまだにその機能が不明である前立腺という神秘の臓器から文章が始まっていた。謎の多い宇宙のなかで、時間という存在の有無が論じられ、作品との対話に発展している。
 画家というより科学者そのものの創作動機に、反射的に思い出したのが、かって仕事を共にした作家安部公房だった。安部公房の劇作術の基本をささえていたのは、つねに人体工学だった。
 素粒子という言葉へのこだわりも、丸田さんと安部さんの共通点だ。 医学を学んだ小説家と薬学を学んだ画家、この二人がどこかで出会っていたら、さらに面白い作品が生まれたことだろう。
 人生観の変化かもしれない水墨風な緩慢な時間への転換は、作家のカロリー低下にも見えて悲しい。
若いエネルギーで、まだまだ暴れて欲しい閨秀画家である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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