フジテレビのお局として君臨してきた安藤優子もいよいよ政界への歩みを始めたようだ。
当時上智大学の学生だった彼女は、パルコでエレベーターガールのバイトをしていた。眼をつけたのがテレビ朝日の報道関係のプロデューサーだった。気が強そうで才走った彼女なら、ニュース・レポーターに使えるのではないかと、声をかけた。TVスクープ、CNNディウォッチ、ニュース・ステーションなどいくつかの番組で使ってみたが、カメラのまえで足を組んで昂然としゃべるような非常識なタカピー女だった。
メディアの世界で生きていくには、代理店の男を捕まえたらいいと、いかにも女子大生レベルの甘さから、彼女はお決まり電通の男と結婚した。復学ののち再びテレビに登場したのが、FNNスーパーニュース。改めて現場にでてみると番組制作の実権はプロデューサーが握っているということに気がついた。
それからの彼女は妻子のいるプロデューサーに猛烈なアタックを掛け、不倫をものともせず情報制作局長堤庚一を手に入れたのだ。略奪愛といわれた。
「皆さん悔しい、私も悔しい、がこれが私たちに突き付けられた現実である。」フジテレビはこの正月、テレビ東京にも抜かれ、東京キー局最下位に沈んだ。夕方のスーパーニュースですら日テレ、テレ朝につぐ3位の日が多い。昼下がりのミヤネ屋にぶつけるワイドショウに安藤を当てようという案が浮上した。俳優の高橋克実とコンビを組ませ、政治、経済、事件、事故、流行、芸能、健康、グルメ…とあらゆる情報を盛り込んでミヤネ屋にぶつけるという布陣だ。芸能ぎらいの安藤にはたして勤まるか。
これがダメなら、次の選挙に立候補する。安倍さんとも親しいのでテレ朝の丸川珠代よりはいいだろう、というのが口に出さない安藤優子の心づもりと言われている。
安藤優子いよいよ陣笠を目指す
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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