安倍晋三首相は尽いている、という話とともに、安倍晋三には女難の相ありという話がある。
第一の女難はいうまでもなく女房の安倍昭恵夫人。
ほっとくと「何をするかわからないから、座敷牢へでも入れてしまえ!」という自民党長老の声がある。
週刊誌の小見出しには「あなたは安倍家を貶めた!」ゴッドマザー安倍洋子が嫁を面罵の怒髪天を突く! とある。森永キャラメルの娘であり、聖心女子大ではなく聖心女子専門学校を出て、スポンサー枠で入ったのが電通。いい意味でも悪い意味でも代理店の軽さが身についている。大麻畑でニッコリの写真を寫してみたり、
森友学園の名誉校長になって見たり、突然神田あたりに居酒屋をつくってみたり、眼を放すと何をやらかすか、
危ない人なのだ。直観とか感覚といえば聞こえはいいが、アッキーのは単なる思い付きで、見識も思想もない
「裏も表もないあの通りの人なのよ」と言っている友人もいる。第一次安倍内閣のあと、大学院へいき「自分の頭で物を考えていなかったことに気がついた」そうだが、物を考え出すとますますあぶない。
温和な安倍首相のこと、オヒマをだす度胸はないと思うが、自分から安倍家を出ていくというオプションはある。
第二の女難は稲田朋美防衛相だ。総理寵愛の秘蔵っ子として早くから政調会長やら数々の重要ポストに抜擢され、女性議員たちの嫉妬を一身にあつめてきた。
出身の地場産業を応援してのダテ眼鏡にはじまり、網タイツを履いた姿は野暮そのもの。早稲田大学を卒業し法曹界にはいったトモちゃんが、網タイツの品性について知らなかったとは言わせない。網タイツは良家の子女がはくものではなく、商売女などが男の劣情を刺激するために穿くものだ。そうでなければ踊り子の穿く舞台衣装のうちである。
海上自衛隊の艦船にのるのにハイヒールで現れたり、狂犬と呼ばれているマティス国防長官に自分と彼の写真入りチョコをプレゼントしたり、どこか乙女チックでピントがずれている。弁護士出身なのに答弁につまると泣いてみたり、一時は女性首相候補一位と目されていたが、今や全くメッキがはげてしまった。
安倍首相のお人好しと、女を見る目のなさが証明されてしまったトモちゃんであった。
第三の女難は言わずと知れた小池百合子東京都知事。
小泉首相に可愛がられた彼女は、官房副長官を務めていた当時の安倍首相にとって少しばかり憧れの存在だったのかもしれない。このまま行けば首都圏から自民党が追い出されそうな情勢であるにもかかわらず、官邸は彼女にエールを贈っている。
都民ファーストの会は、いつ小池新党として国会に乗り込んでくるかもしれないのだ。
げに恐ろしきは女相の振舞いと本音である、と安倍晋三は肝に銘ずることだ。
安倍首相に三つの女難あり
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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