孫と菅…政経うらおもて。

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 孫正義が全国知事会が開かれている秋田に乗り込み、大阪府、神奈川、愛知など35都道府県の知事を集めて自然エネルギー協議会を発足させた。原発事故への反省から、全国の休耕田、利用されていない工業団地などにメガ・ソーラー基地を建設し、明日のエネルギーにという構想だが、発電した電力の「全量固定価格買い取り制度」の実現を国にせまっていくという。
 同じ頃、菅直人は官邸に記者を集め、原子力に頼らない自然エネルギーによる国作りを、もっともらしく発表した。脱原発に関してはすでにある程度のコンセンサスはあるのだから、工程表とともに発表するのであれば、記者会見の意味もあったのだが、例によって中身のないスローガンだけの話で、またもや首相の延命策かといった冷たい空気が会見場に流れた。
 それにしても孫エネルギーと菅脱原発はあまりにもタイミングがあい過ぎて、政商と権力者のマッチポンプに見えて当然。これほど国家にとつて重要な施策を首相は内閣のだれにも計らず、与党とも議論せずに、恐らく孫氏とは合い計らって発表したのだろうが。この人には組織の長であったり、党首である認識がなく、だから選挙にまけても責任をまったくとらないというヘンな人なのだ。
 孫正義もまた三月下旬の震災復興の会議で、いきなり「電気の電と、田圃の田で、電田プロジェクトがいい」と言い出し、まわりが慌ててソフトバンクの定款変更をしたという曰くつきのプランだ。都合の悪い時は政府のせいにする孫氏の兵法で、死にかけの菅直人を100年首相をやって欲しいとおだて、しゃにむに「電力全量買い取り制度」を創設させ、事業者は損しない仕組みを造ろうという商売人なのだ。さて孫と菅どちらが「お国のため」「自分のため」「商売のため」???…。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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