「竜宮の使い」とよばれる気味のわるい深海魚があがった。静岡、牧の原の海岸、体長5メートル近くの蛇のような細長い魚体だが、1000m以上の深海に住むこの魚は、昔から「地震の使い」と呼ばれてきた。
東京港のコンテナ埠頭には、10mのシロナガスクジラが腹をみせて漂着した。同じ頃、小田原にもザトウクジラが、打ち上げられ、静岡でもザトウクジラ2頭が打ち上げられた。
3.11の前3月4日には、茨城・鹿島の海岸に52頭ものクジラが打ち上げられ、漁師さんたちは大騒ぎしていたそうだ。
去年のニュージーランド大地震のときは、107頭ものクジラが打ち上げられ、地震と魚が関連する異常現象は、もはや疑う余地はない。
福島原発事故では、放射能学者たちはすっかり信用を失った。彼らが安全安全といってきたのは東電からの金銭に対する御礼であり、人間の命への畏怖は全くなかった。
地震・津波学者もあらかた大嘘ツキであることが、証明された。学者は生きた現実よりも、机上の空論に奉仕する妄想主義者であることが、証明された。膨大な資料をまえに、庶民の税金をつかって研究しているのは、ひとへに人間の命への奉仕でなければならないのだが、いつからか象牙の塔の既得権にしがみつく官僚になってしまった。
地震のまえに騒ぐナマズのほうがよっぽどましということか。クジラ達の異常現象がこれだけつづいても、学者たちは一顧だにせず、わが研究を優先する。官僚と学者は犬もくわない。
学者よりオサカナ?
コメント
1件のフィードバック
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忌むべきは、首相と現場に行って、現場を見ながらもベントを指示出来なかった、あの人です。米軍はベントを見越していっせいに風下に逃げたのに何故ベントを行えなかったのか?魚以下の判断力しかない事も証明されあました。
プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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