DNA鑑定というものがない時代、いっこうに困らなかった。
困ったのは警視庁とか、犯罪関係の人たちだったとおもう。DNA鑑定のおかげで、神の領域に人間がふみこんで、挙句のはてはおろかしいドヤ顔が世にはびこっている。
最近「大沢樹生実子訴訟」というのがあった。もう10年も共に暮らした子供を、あらためて女房の過去を疑い、俺の子ではないといいだしたのだ。そしてDNA鑑定の結果をもって裁判所に訴えた。
自分の人生と子供の人生を科学のイケニエにしたのだ。ここには科学絶対主義といった信仰がある。もしもDNA鑑定などというものが無かったら、より人間的な倫理や哲学の領域で問題は解決していただろう。
科学原理主義と人生は根本的に異なる。
横町の熊さんなら、こいつはこの俺にちっとも似てイネェ、しょうがない奴だ、位で問題は解決していただろう。
相方、つまりその子供を産んだ母親は、青春の苦悩か、若気の過ちか、なんらかの事情があってその子を産んだ、生きるということはそういうことと思って、墓場までもっていくつもりだった。
いちいちほじくり返して、母親の過去をなじり、子供に一生のキズを負わせるとは、あきれた男だ。
母親たる喜多嶋舞は黙して語らないが、大沢樹生の品性はみさげたものである。
子供をDNAのイケニエにした男
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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