子供を食べる鬼子母神

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 朝顔市が開かれている。
 夏の準備は縁の下の片隅で冬を過ごした風鈴を洗うことから始まった。水につけた風鈴はたちまち美しさを取り戻し、水草と金魚が色鮮やかに甦った。七月の始まりは忙しかった。 七夕飾りを作らなければならなかったし、朝顔市にいって朝顔をかうのも年中行事にはいっていた。
朝顔市.jpg 
 子供のころは、鬼子母神は子供を守ってくれるいい神様だと思っていた。
 ある時、とんでもない子供をたべる神様ときいて、腰が抜けるほどのショックを受けた。
 神様のなかにそんなにひどい神様がいることが信じられなかった。
鬼子母神1.jpg
 長じてギリシャ神話では、男が子供をたべるが、東洋では女が子供をたべる。カリテイモという夜叉の娘は500人の子供を産みながら、その性格が狂暴で他人の子供を奪ってたべてしまう。釈迦がそれを聞いてカリテイモの子供達を隠して、その罪をさとした。以来仏に帰依して子育ての守護神になったという。その変わり身が凄い。最近の週刊誌にも母親をたべた娘に話がでている。ついていけない。
 女性への恐怖心はその時以来のものかもしれない。心変わりした鬼子母神の鬼の字にはツノのない鬼を書かねばいけないと教えられたが、そんな字はパソコンに出てこないので、とりあえずツノ付きの鬼にしておく。
朝顔娘.jpg
 むかし入谷界隈は朝顔の畑がいちめんに広がっていたといわれる。それが鬼子母神の縁日と結びついて夏のはじめの朝顔市になったらしい。
朝開いて、夕べに終わる朝顔ははかなくちょつぴりかなしくもあるが、いかにも夏らしい姿に魅了される。
 朝顔市には100軒以上の屋台が集まり、60軒の朝顔業者が12万の朝顔を並べてにぎあう。鬼子母神とは縁遠い若い娘さんが声をはって売りさばく。 朝露いっぱいの朝顔選びは子供心にとても嬉しかった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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