どう見ても親分が県庁に乗りこんで、知事を怒鳴り倒しているようにしか見えなかった。今時珍しい人間が大臣になっていたのだ。型通りの記者会見では見えてこない人間性、教養が丸見えで近頃にないテレビカメラのお手柄だった。
ヤクザが大臣だったのか、大臣だからヤクザになったのか、その辺は定かでないが、やたらに威張りたい人間だということだけは、理解できた。
「俺は九州の人間だから、東北の何市がどこの県かわからない」震災復興大臣を引き受けたんだからその位勉強しろよ、と言いたい、「知恵をだしたやつは助けるが、出さない奴は助けない」にいたっては、知恵をだすのは政治家のオマエだろ、あんたは悪徳高利貸しか。「いまの部分はオフレコだぞ。書いた社は終わりだからな」 この恐喝まがいの発言を聞いて、急に昔が蘇えった。
松本龍というこの人の御祖父さん、松本治一郎が部落解放運動の父といわれていた頃、毎週のようにテレビ局部落担当が、わび状とナニガシとお土産をもって、関西の解放同盟本部に足を運んでいた。祭り取材などで土地の古老が、うっかりうちの部落の…などと発言しようものなら、問答無用で抗議がくる。発言した本人も一向にその意図はなく慣用語として部落を使っただけでも、一切許されず、とにかく本部にわび状とナニガシを提出しなければならない。怒鳴られる。威嚇される。高圧的に脅かされる。田舎での催事やお祭中継時には、各局神経をすりへらしていた。
血は争えない。あの当時の威嚇体質がそのままこの松本龍という孫に見て取れた。こんな陣笠を重用する権力欲の権化、菅直人という総理大臣にもあきれた。
威張りたい大臣と被災知事。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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