日本画壇の巨星平山郁夫が逝った。度重なる東京芸術大学学長、芸術研究助成財団理事長、日本育英会会長、そして文化勲章とつねに政治に近い画家として注目を浴びていた。好むと好まざるとにかかわらず、墓場に勲章の欲しい芸術家はまず平山郁夫の門をたたいてからと噂されていた。中曽根、村山、竹下と時の権力に近ずき、自らの作品が首脳外交の手土産になることを無上の喜びとしていた。画題は仏教渡来とシルクロードが中心だつたが、「月の砂漠に往く駱駝の隊商」など何処がいいのか判らない迷作、似合う空間は温泉旅館のロビーしかなかろうと思われた。それが画壇最高の一号当たり500万円もつけたのだから、欧米画壇から日本画は芸術ならぬ金儲けのツールと認識されてしまった。「三聖人・平和の祈り」と題した平成14年の作品では、キリスト、釈迦、マホメットの3人が並んで描かれ、平山の宗教観の浅さを露呈、偶像崇拝をタブーとするイスラムの虎の尾を踏んでしまった。彼の歴史認識はミーハー風なマスコミと一致し、持て囃され有難がたがれたが、結果として日本画をますます世界の美術界から引き離してしまったのだ。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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