女性は第三の矢に成りうるか

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 「女性が輝く日本へ」成長戦略の第三の矢は女性です。
 安倍首相のこの演説をきいていると、なんとなく後ろめたい気分になる。言っていることは正しいのだが、眼の前の経済戦争にたいして持ち出すのは、場違いではないかと思うのだ。
 男女共同参画法が出来たのは40年も前のことだが、いっこうにすすんでいない。そこで安倍さんのキャッチ・フレーズに育児休業3年、上場企業役員最低でも一人を登用という言葉がおどった。
 お付き合いのある銀行の担当部長も女性になった。一流の都市銀行とあれば政府の方針に従って早速の女性登用と理解した。ご挨拶に初めて見えた。柔らかな感じはいままでの銀行員にはない新鮮さを感じた。一か月後に再度見えたときに若い男性をつれてきた。「私妊娠いたしましたので、後任の人間を連れてきました。」
そうか女性だからそういうこともある筈だし、女性が働きやすい職場とはそういうことなのだと、理解した。しかし新任いらい彼女とはなにも仕事をしていない。新任ご挨拶、次は妊娠ご挨拶この二件だけというのはどうも悲しい。
 安倍さんの第三の矢もどこかで失敗しそうな気がする。
 女というアイテムにはいろいろな仕掛けがある。ひよわなイメージはセクハラになる。女になったは生理現象だし、女だからも差別用語だ。みずから私オンナよといえばかなり色っぽい主張となる。ただし女遊びはいけない。女子か女性に頼らなければならない。
 婦人を嫌う女性をただしく登用するのはかなり難しいが、これを乗り越えなければこの国の成長はない。
と安倍さんは言っているが…果たして。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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