女子フィギュアはコーチで恥をかく

by

in

女子フィギュアはコーチで恥をかく
 ピョンチャン五輪女子フィギュアスケートの最終戦をみた。
 修造の大騒ぎする日本のフィギュア女子は、あまりにも餓鬼っぽくて見る気になれないのだが、ロシアの凄さは見るべきという友人の勧めで、テレビの前にすわった。
 15歳のアリーナ・ザギトワにしても、18歳のメドベージュワにしても圧倒的に美しい。顔が美しいだけではなく、身体が美しく、大衆の眼にさらすキャンパスとして、十二分な肉体を持っている。フィギュアのような全身をさらして表現するスポーツは、そこが先ず入口である。
 テレビで絶賛する19歳の宮原知子は、伯母さん顔でちびだし、17歳の坂本花織は、まだまだ身体が絞り切れていない。JKの小太りがそのままオリンピックに出てきた感じなのだ。
 そして音楽、ドンキホーテの音楽が見事にカラダにのりうつっていたザギトワ、そしてアンナ・カレーニナを選んだメドベージュワ、オズモンドのブラック・スワンにいたってはバレエが先か、スケートかと言いたいぐらいの見事さで音楽が選手を包みこんでいた。
 それに引き比べ日本の選手からは全く音楽がきこえない。宮原知子の蝶々さんは、彼女自身意味も解らず蝶々夫人を採用したのではないかとさえ思った。ピンカートンに棄てられた蝶々さんの悲しみはどこにもなかった。坂本花織のアメリにしてもただ元気なだけで、アメリの青春はきこえてこなかった。
 衣装も格が違い過ぎた。クラシック・チュチュの基本を守ってフィギュア衣装に仕立て上げたザギトワ、メドページュワの濃紫のスパン使いとスワロフスキー使いの見事さ、なかでも黒鳥のイメージのオズモンドは成熟の美しさをふりまいていた。ザギトワとメデベージュワがフォーマルな長手袋をしてリンクに登場したときは息をのんだ。バレエやオペラでは当たり前だが、フィギュアで長手袋とはさすが伝統ある国だと感心した。
 安キャバレーのスパンコールで登場した宮原にしても、幼少期をテキサス・ヒューストンでは責めては可哀そうだ。責任はコーチにある。コーチがもつと勉強しなければ、音楽も衣装もいつまでたっても世界の三流品でしかない。解説者も技術点の説明だけで、芸術点には手も足もでない。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ