女子アナ達の天皇論

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 NHK、NTV、TBS、MBS、YTV、など8局の代表的女子アナを集めて、意見をきく会に遭遇した。
 議題は「女性天皇について」。
 参議院選挙も終わり、内閣改造がすめば、天皇即位の大嘗祭までの間に必ず議題に上って来る懸案である。すでに週刊誌上には、あちこちから観測気球が挙げられている。
 「この際、愛子さまでいいのではないか」「いや絶対に悠仁さまでなければならない」悠仁さまは学習院での帝王教育をうけていない、お茶の水女子大付属小学校で大丈夫なのか。そもそも秋篠宮殿下の本人任せの教育方針では、天皇はおろか皇族ですら満足に育てられないのではないか。眞子さま、佳子さまのふるまいを見ればわかる。
 女子アナの意見を聞いて驚いたのは、おおよそ日本の国体にたいする認識がない、世界でいちばん古い日本の王家・天皇家に対する認識が薄いことだった。
 日本の天皇家は男系男子相続、それ故万世一系の君として存在し、国家国民の最高祭祀者として、諸外国からも尊敬を集めている、という国家の文化的象徴であることを理解していない。
 八割の女子アナがキリスト教系の大学で教育を受けてきている実態なので、さもありなんかもしれないが、社会のオピニオン・リーダーたらんという女子アナ達の意見がこれではどうにもならない。
 いまは男女同権の時代だから、女性天皇ありだし、女系天皇だって一向に困らないわ。いっそ国民投票にしたらいいのに。日テレ出身の宮崎宣子の脳ミソは、共産党並みの国体破壊論だった。TBS出身の小島慶子も男系の血筋にこだわることない、女の時代に女子が天皇になってどこが悪い。ひどく浅い感情論で歴史認識皆無のマッカーサー直属のご意見だった。
 こうしたエリート女子たちが、政界に進出してきたらこの国も終わりだと絶望的な気持ちになった。
 マッカーサーは見事に植民地政策を成功させ、愚かな女子達の大量生産に成功したのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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